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個人の意見とか独断、偏見が混じった内容が混じっています。またブログ内の文章は常体です。あらかじめご了承ください。

  • 執筆者の写真taisyo takaguchi

あの会社の最初 〜コカコーラ〜

自分のことについて書くこともあまりないので、大学で学んでいるマーケティングを基に、様々な会社の初期や、良かった点について書いていこうかなと思います。

最初は誰もが知る有名ドリンク、コカコーラです。


今では誰もが知る炭酸飲料、コカコーラ。しかしその最初は、薬として売られていたのをご存知でしょうか?


ジョン・ペンバートンは、薬剤師として活躍していた人物でした。彼は、当時一般的だった鴉片やモルヒネに代わる、安全で効果的な痛み止めや頭痛薬を開発することを目指していました。そして、コカ・コーラの元となるレシピも、その一環として開発されたものでした。

コカ・コーラのレシピは、当時人気のあったパテント薬と呼ばれる、薬剤師が自らの手で調合した薬品の一種でした。このパテント薬は、自己主張の強い人々が多かったアメリカの西部で特に人気がありました。そんな中、ジョン・ペンバートンは、コカ葉とコーラナッツから抽出したエキスを混ぜ合わせ、甘くてスパイシーな味わいのパテント薬を開発しました。

当初のレシピには、アルコールやコカインも含まれていましたが、後にアルコールは除去され、コカインも微量になっています。


ところがこのペンバートン、モルヒネを大量投与していたことで体調が悪化し、療養のためにお金が必要になります。

そこでペンバートンは自分が持っている株式を売り渡すことを決めました。

その株に目をつけたのが、アトランタの実業家であるアサ・グリッグス・キャンドラーだったのです。


ペンバートンがなくなった後、家族が引き継いだ株を買ったことで株を全て買い占め、キャンドラーは遂にコカコーラをアメリカ全土へと売り出します。


キャンドラーは、コカ・コーラの魅力的なブランドを作り上げるために、多数の広告キャンペーンを展開しました。彼は、有名な芸術家やイラストレーターを雇い、美しい絵柄の広告を制作することで、コカ・コーラの美味しさとリフレッシングな効果を強調しました。また、キャンドラーは、スポーツイベントや映画館、レストランなど、多くの場所でコカ・コーラを販売することで、消費者に広く認知されるようにしました。

アサ・キャンドラーが提唱したコカ・コーラの独自の配給システムは、現在では「コカ・コーラ・システム」として知られています。

このシステムは、コカ・コーラ社が直接ボトラー(飲料水の瓶詰め会社)を所有し、コカ・コーラ製品の製造、販売、配給を自社で行うことにより、製品の品質や効率性を維持することを目的としています。

具体的には、コカ・コーラ社は自社で製品のレシピを所有し、製品の原材料の調達、製造、パッケージング、配送、そして販売に至るまでの一連の工程を自社で行います。そして、コカ・コーラ社が所有するボトラーに製品の製造や配送を委託し、彼らは自社の地域で販売することができます。


このようにして、コカコーラは世界中で親しまれるようになっていったのです。

きっかけって意外なところにあるもんですね。

大発明とかヒット商品って、実は本来の目的とは違った意味で開発されたものなのかもしれません。。。


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