昨日あげた記事から早速、自己紹介というか簡単な振り返りを続けていきます。
まだ1個目の記事を読んでいない方は下のリンクから第一回目の記事をぜひご覧ください。
それでは高校生からスタートです。
〜レース編〜
高校1年生で全日本カート選手権のFS-125クラスに参戦します。東西どちらの地域に出るか非常に悩みましたが、OKとの併催回数が多い東地域を選択。自分の中では4輪に乗るための限定ライセンス取得条件である、ランキング6位以内を目標にシーズンをスタートしました。
ここで6位以内に入れなければレースをやめる。そう言い聞かせて1シーズンを戦い、チャンピオンを獲得。しかしながら1勝もせずタイトルを取るという非常に珍しい出来事でした。
同年では中学から出場していたROTAX MAX シリーズにも継続参戦。シリーズで2位となり、中学生の頃行けなかった世界大会に出場できることになりました。
これについては、また別の機会に詳しく書こうと思います。
ともあれ、カートでのピークを迎え、そのままフォーミュラへと転向していったわけです。
しかし、フォーミュラでは大苦戦。どれだけ練習しても速くなれず、レースに出ても最下位争い。2年経っても走る位置が変わらず、流石にやめようと思っていたところに、転機が訪れました。
それまで乗っていたRD10VからKK-SⅡに変わることになり、走らせ方が合っていたのか少しずつ良くなっていきました。そうして迎えた、S-FJ3年目の日本一決定戦。表彰台に乗れなければ、次につながる話がなければやめる。またしても自分に言い聞かせて臨んだそのレースは3位。まさに「首の皮が一枚繋がった」状態でした。そこからFIA-F4のチームに声をかけていただき、テストに乗るも自分の納得できる結果をテストで出せず。
それでもレースが好きで、なんとしても続けたい。その一心で、今に至っています。
今年はS-FJのジャパンチャレンジと呼ばれる、全国を転戦するシリーズに参戦します。
またスーパーフォーミュラライツに、メカニックとして1年間帯同させていただくことにもなりました。
メカニックの経験を通して自分の知識を深めたり、またドライバーの技やコメントなど様々なものを活かせるように精進していきます。
〜学校編〜
高校もそのまま名古屋大学教育学部附属高等学校に進学。受験勉強をすることなく高校へ行きましたが、相変わらず成績は良くなかったです。
もしもレーサーになれなかったらタイヤの開発がしたいと思い理系の道を取りますが、化学ができずにその道を諦めます。高校3年生になる年にコロナが流行り始め、学校が一時閉鎖、自宅学習に。その期間に自立できる方法を探し始め、理系を諦めた結果、経済学部や経営学部を選択。距離、学費、カリキュラムなどを考え、名城大学経営学部、名古屋市立大学経済学部に絞りました。
市立は落ちたものの、名城大学には合格。受験勉強を終え大学生になることができました。
また学校とは別に、イベントの企画、運営がしてみたくてU20と呼ばれる活動に参加していました。20歳以下の人たちでイベントの企画やブース出展の内容を考え、実際に当日の運営まで行うというもの。高校生まではそのU20の参加者として、大学生からは中高生をまとめる運営側として5年間参加し、活動していました。
大学ではレース関係と違うことをやろうと思っていたものの、気づけば学生フォーミュラに入部。やっぱり離れられないみたいです。
大学1年生の頃はコロナがまだおさまっていなかったので大会はありませんでしたが、2年生だった昨年は大会が復活。弊チームは車を動かす種目で2位を2つ、3位を1つ取っていましたが、それ以外の種目の成績が響き全体8位に終わっています。
授業の方ではゼミの先生がとても興味深い人で、その先生に4年間お世話になることを決意。とてもお世話になっています。これもまた別の機会に。
全体的な振り返りはこんな感じですね。
明日は今活動している学生フォーミュラで一大イベントを取り上げますので、是非お楽しみに。
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