論点整理室 #4 「プロ」と「素人」
- taisyo takaguchi
- 2025年12月25日
- 読了時間: 3分
ついこないだ The Wが話題になった。そのネタというよりかは、審査員の粗品のコメントや芸人とのラリーが取り上げられることが多く、本質からはズレたところで盛り上がっているようにも思えた。
今のお笑いコンテストは審査員が比較的似た点数をつけたり、点数差をつけなかったりする人が多い。例えば5人の審査員がいたとして、4人の点数幅が5点だとしても、一人10点幅をつけるだけで、全体のおよそ3分の1ぐらいを変動させることになる。つまり、その人一人で簡単に順位が変動してしまうということを意味する。これはこれでいかがなものかと思うが、むしろ点数差をあまりつけない今までの方が良くなかったのかな。
そんな中、今回の粗品のコメントの中で最もネットで盛り上がったものがある。
「準決勝でのハネ方も僕は知ってるだけに、日テレが集めた客の勘が悪すぎてあんまウケてなかったのがかわいそう」
「普段質の悪い客の前でしかネタを試せてない」
という、ネタやコンビではなくそれを受ける側の人にコメントを出しているのだ。
だがここで考えるべきは、「客の質」ではなく、お笑いを「サービス業」と捉えるか、「表現芸術」と捉えるかだと思う。
お笑いをサービス業と捉えるなら、間違いなくその目的は「お客さんを笑わせる」ことにある。プロの芸人を定義するならどんな状況でもより多くの人を笑わせることができる人となるだろう。客の質や場の状態、環境などは関係なく結果を出さなければならない。
だが、表現芸術となると話は変わってくる。お笑いにおける文脈理解、テンポ、間の取り方は暗黙知とされ、お客さんと共に作り上げるもの、と認識される。芸が成立したかどうかが成功条件となり、仮に失敗した場合、ダメなのは芸人ではなくその環境だということになる。
お笑いコンテストにおける難しい部分は、芸人と一般人に乖離がある故に、点数に納得できない部分が出てくることだ。
誰のための、何を決めるお笑い大会なのか
その瞬間に一番ウケた芸人を決めたいのか
将来売れる芸人を選びたいのか
芸の完成度を競わせたいのか
目的が曖昧だからこそ、こういう乖離が起きる。一般的な観客は、また見たいか、面白いか、この人の他のネタを見たいかなどが評価軸となるのに対して、芸人側は同じネタを提供する側の立場として、他の芸人が真似できないか、自分ならどう作るか、ネタの構成がどうなっているのか、を軸に考えている。つまりお客さんと審査員ではそもそも視点が違うのである。この状態を踏まえた上で、もう少し粗品のコメントについて考えなければならないと思う。
芸人側の立場からすれば、観客が悪い、というよりかはウケなかった自分が悪いと考えるべきだろうし、番組スタッフやお客さんからすればウケるべき時に沸く環境づくりをするべきだと考えなければならない。一概にどっちかだけが改善しなければいけない、という訳ではないのだ。
芸人は「ウケなかった責任」を引き受けるべきであり、
番組と観客は「ウケる環境を作る責任」を引き受けるべきで、
そのどちらかが欠けると、コンテストは歪む。
